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『若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ (片男波)葦辺をさして 鶴(たづ)鳴き渡る』(山部赤人)

2017.01.14

和歌山」の由来

『若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ (片男波)葦辺をさして 鶴(たづ)鳴き渡る』(山部赤人)

和歌山県の北部に位置する和歌浦(わかのうら)は奈良時代より多くの貴族に愛され、平安時代中期よりこれまた多くの歌人が、「1例;聖武天皇の幾度かの行幸の際に、お供した山部赤人が(万葉集=中国文化の影響を受けていた奈良時代に編まれた歌集/巻六)の919番歌に、上記のとおり詠んでいる」歌枕に若の浦と呼んだ名勝(景勝)の地だ!

1585年「天正13年=戦国時代(安土・桃山時代)」、和歌山城築城時に、その「和歌浦」に対して、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が「和歌山」と命名したことに由来する。つまり(和歌山)の語源は、(和歌浦)の和歌と「岡山=現;和歌山市岡山」の山との組合せとされている。

江戸時代は
紀州藩(きしゅうはん;別名=紀伊藩55万石)と呼び三重県南部まで治めた。版籍奉還後に和歌山藩(正式名称)となり、その後、廃藩置県「明治4714日(1871 829日)」により和歌山県(初代県知事;津田 正臣氏=楠木正成公の子孫とされる。)となった。
「ちなみに現在の
仁坂吉伸氏は55代目となる。」

和歌浦で最も著名な景勝は玉津島である。平安の昔より玉津島は海上に浮かぶ小島であり、潮の干満で陸地とは続いたり離れたりするという景観を誇っていた。
明治43年には夏目漱石が家族旅行の際に利用した日本初のエレベーターが和歌浦に建設されている。この光景が展望できたことでしょう!

『若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ (片男波)葦辺をさして 鶴(たづ)鳴き渡る』(山部赤人)

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